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−ごろん店主日記−

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師は子猫のゴン

こんにちは。Calin Calin店主の出崎です。
今日は小学生時代に出会い、わたしの師となったゴンのおはなしです。

私の幼少時代、実家ではインコやチャボ(鶏の小型なタイプ)を飼っていました。
当時、のら猫が多く庭にあるチャボ小屋を覗きにくるのら達はよくありました。
ある日の夕方、いつものように〝コッケー!コケー!〟とチャボのSOSが聞こえてきました。
私は急いで庭へかけ出て犯人を捜したところ、猫が縁側の下に逃げ込むのを目撃。
覗き込むと猫が小さくなってこちらを睨んでいます。
睨むとは生意気な、怒っているのはこっちだぞ! と園芸用の棒を拾ってきて猫の頭をパチパチ叩きました。
縁の下なので上手く叩けないでいると、一瞬の隙をみて猫が縁の下を飛び出して表玄関の方へと逃げていきます。逃がしてなるものかと追うわたし。
玄関正面に行き着いたところで、偶然にも母親が内側から玄関を開けました。
すると猫は躊躇なく玄関の中に入ってそのまま家中へと逃げ込みました。
これは初めての展開です。

あらためて明るい家中で猫を見下ろすと、猫は明らかに子猫でした。
母親は「お腹が空いているんじゃないか」と言い出し、牛乳を小皿に注いで「ほらっ」と差し出すのです。
子猫は人間を怖がることなく牛乳を舐めました。
さっきまでこの子猫を追いかけ回していたはずの私も子猫が可愛くみえていました。
夜になって子猫を外へ出そうとする両親を説得して一晩は家におくことを了解されました。
翌日、約束通りに縁側のある窓から外へ出された子猫。
どこか遠方へ捨てに行くという知恵もなく、庭に出すことで済むと思うところが無知な子供です。
今どきのガラスとは異なり、このガラスは凸凹があるデザインだったため、猫の姿が尚更に可愛く、また不憫にみえていました。
姉、私、妹の三人で両親に可哀そうだの、飼いたいだの、泣きながら訴えていると、絶対反対の母とは異なり、父親は「わかった、飼おう」と一言。わーいわーい!
ふたたび窓ガラスは開き、子猫は我が家の猫として迎えられたのです。
子猫には、当時テレビアニメで人気のあった主人公の男の子から名前を貰い、ゴンと名づけられました。

ゴンは白地に茶色の部分が所々はいっているミックスで、尻尾は幸運を呼ぶとされる短いかぎしっぽ
昭和の飼い方で自宅の内と外を自由に行き来させていました。
父親は窓の一つを改造して猫が自分で開けて外出できるようにしてあげました。
猫の為というよりは、いちいち面倒くさいというところでしょうか。
帰宅時は摺りガラス越しに窓ガラスを引っ掻く姿が見えるので、内側から家族が開けてあげていました。

ゴンが2,3歳の頃に体調を崩し、父親が通勤途上、寄り道して自宅から徒歩15分ほどの距離にある動物病院に連れて行くことになりました。
私が小学校の授業を終えて帰I宅すると、母親が「ゴンが居なくなった」と言うのです。
動物病院の敷地に入ったところで、入院中の大型犬が吠えたそうなのです。
当時の我が家に猫を入れて運ぶ専用のキャリーケースなどはありませんでした。
父親の肩掛けカバンの中に入れて連れて行ったのです。
チャックを締めきっては可愛そうだと考えた父は、カバンのチャックを少しだけ開けておいたそうです。犬に吠えられて怯えたゴンは堪らず飛び出して姿を消してしまったという訳です。
父親はしばらくは探したものの見つけられないままに出勤したようでした。

私はすぐに自転車に乗ってゴンを探しに行きました。
ゴンは体調を崩しているし、当日は梅雨の雨が終日シトシトと振っている天候。
ゴンが心細い顔をしてどこかの軒下で小さくなっている姿が目に浮かびました。
動物病院の立地は恐らくはゴンの行動範囲を超えた位置にあり、自宅と動物病院の間には幹線道路も通っている。
ここを渡って安全に帰ってこられるのか? いや渡ろうとも考えないのではないか?
動物病院の周辺を自転車でグルグル回りながら「ゴーン!ゴーン!」と呼んで探しました。
周辺のおばさんが怪訝な顔をして私を見ているのはわかりましたが、〝そんなの関係ねー!〟でした。
いったん自宅に戻りゴンが帰ってないかを確かめ、居ないと知ると再び捜索へ。
もう辺りが薄暗くなってきてしまいました。
私は動物病院から自宅への道筋に唾を吐いて印を残すことを実行。
ヘンゼルとグレーテルです。
ゴンが私の唾に気づけるものかは不明ですが、他に印になるものが思いつきませんでした。
幹線道路にある横断歩道には唾を沢山残しました。
今思えば、まったく意味のない気休めにもならない行為ですが、当時の私は大マジメでやりました。
夜、父親が会社から帰宅。
凹んでいる父親を責めることは子供にも出来ませんでした。わざとじゃない。
ゴンのことは直接的にはあまり話題にしないままに就寝。布団の中で心配しながら眠ってしまったようです。

早朝、聞き覚えのある摺りガラスを爪で引っ掻く音が聞こえた気がして目が覚めました。
耳を澄ますと「キーっ、キーっ」と確かに聞こえる気がします。
慌てて布団から飛び出して窓へ駆け寄ると見慣れた影が摺りガラスに映っているではありませんか!
急いで窓を開けてみるわたし。
そこには、いつもと変わらぬ様子で前足を綺麗に揃えて座るゴンが私を真っ直ぐに見上げていました。
「ゴン・・・。」
未だ寝ている両親や姉妹にも聞こえるよう大声で「ゴンが帰ってきたー!!」と叫ぶ私。
何事もないように家へ入り、腹減ったと言わんばかりに母親にゴハンをせがむゴン。
父親は「敢闘賞だ」と言って、アジの開きを出してきました。(塩味が効いているのに)
探しに行こうともしなかった妹は「私は帰ってくると思ってた」などと云うものだから母に叱られていました。

ゴンは年を重ねるにつれて病気をするようになりましたが、おそらく10年は生きました。
よく他の雄猫と喧嘩して酷い怪我を負って帰ってきたり、生きた雀を咥えて戦利品だと自慢して私たちをキャーキャー言わせたり、1週間も帰ってこなくなったり、子連れの可愛いお嫁さんを連れて来たり、彼の猫人生を様々魅せてくれました。
猫人生の最後、彼はこれまでとは異なり私たち家族には「心配しない」特別な魔法をかけてくれました。
ゴンはもう帰ってはこないんだね、それを受け入れる心の準備をさせてくれたようです。

なんで猫をみれば石をなげるような子供であった私が、たった一晩で猫が可愛くて仕方ない気持ちになったのか?
成人した後に、自分でも不思議だと思っていろいろ考えてみたことがあります。
行き着いた結論は、嫌いだったのではなくて知らなかったのです。
程度の差はあれど、人は知らないものを敬遠したり、怖がったり、決めつけたりして嫌ってしまう弱さがあります。
知らない、という理由でイジメられたり、追いかけ回されたりしたのでは堪らないですよね。
これは猫や犬だけの話ではなく、おそらく人間同士でも同じことでしょう。
子猫のゴンは私に棒で頭を叩かれながら、私にそれを教えてくれました。
今でもゴンには頭が上がりませんし、感謝しています。
この時の経験もあって、この後およそ20年後に再び猫(小夏)と暮らし、16年と9日間を共にしてくれました。
小夏も逝ってしまい、私には猫が足りない。猫との暮らしが愛おしい。

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